コラム第二回
〜ゲーム記事のからくり〜

今回はゲーム記事、とりわけ前評・発売直後の批評記事についての新しい(かもしれない)見解を取り上げてみようと思う。

こういうことある?

私は次のようなことを体験したことがある。新作を購入して少しプレイしてから『こんなもんかよ!!!』と投げ出しそうになる。 満足しえないと判断したからだが…。これには企業側にも、プレイする側にも原因があるのだ。 特に大企業のシリーズものや、宣伝が大々的なものであればなおさらこのような現象が起こりやすい。これは企業側の問題。 こちら側の問題は新作の情報を集めることや、シリーズものに入れ込むことだ。最近では企業側も宣伝にお金をかけるし、 宣伝を目にすることが多いし、ネットワークの発達がそれに拍車をかけている。 だからこそ陥りやすいこの現象には、実はからくりがあるのだ。

なぜこのようなことがおこるのか

これは当たり前のようだが、「期待度」というものが原因だ。前に上げた現象は、期待度と現実の落差が激しいほど起こりやすくなり かつ深い落胆になる。しかし、これはあくまでも客観的な認知による満足度(認知的満足度)の話である。気分や感情による主観的な満足度ではない。 社会学(私の専攻)での考え方なのだが、具体的に数式にしてみるとこのようになる。


        個人が認知した現実
認知的満足度=−−−−−−−−−−−
           期待
 

つまり、分母<分子の状態になれば「満足」となり、分母>分子となれば「不満」となるのだ。 また、事前の情報を入手しそれを“客観的”に分析した時点でこの数式が当てはまることになる。 このように、前段階で作品に期待したりおもしろいだろうと予測したりした数値が、その人が認知した現実を下回らなければ いけない。例えるならば、『今度の合コンは美人ばかりだ』と聞かされて現実は自分にとってあまり美人ではない人が集まった時の 不満さということ。人によっては美人だと思い、満足度は上昇することになる。そして満足度はその人の評価に直接つながるものだ。

一つ注意

ここで考えてほしいのが、分母にあたる“現実”のこと。先に少しふれたが、これは相対的・客観的現実ではなく「個人が」判断した 現実だということである。RPGを嫌いな人は当然分母は低い数値になるし、好きな人にはプラスになる要因となる。つまり、その人が どういう状況にあるかや、どういった趣味や好みなのかというパーソナルなものが大きく関わっているのだ。 作品の内容がよく分からないということはもちろんありうるのだが、そこで判断した満足度は刹那的なものである可能性が高いことに 留意して、投げ出したゲームをもう一回プレイしてみる違って感じるかもしれない。

これをふまえて

本題に戻るが、このようにどんなに客観的に書いても完全に客観的に論することはできない。巷に出回っている評価は その人の認知的満足度と切り離せない。いくつもの評価があって当然のことで、さまざまな評価がなされるのは自然のことだ。 前評は熟慮して正確に評価しているようで、実は後々の評価とはかなりの食い違いが生まれるということを念頭においてもらいたい。 前評を有効活用して新作購入をする場合は

  1. 情報がどれくらい発売前に発信されているかを踏まえておく
  2. なるべく多くの記事を読む
  3. 記事を書いた人がどのジャンルのゲームが好きなのかを知る
ということを考えてみてはどうだろうか。



著者:acespymata

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